次の畑の植え付けのために里芋を少し早いのですが掘り起こしました。里芋を見ると思い出すことがあります。今は、コロナの影響で中止になっていますが、お寺のお講の時におみそ汁が振る舞われます。当番がおみそ汁とお漬物を用意し、お参りの門徒がお弁当にご飯を入れて持参し本堂で、皆が食べるのです。
今の時期には、近所の門徒の方がまだ小さい里芋を掘って皮を剥き湯がいて持って来られていました。「清ちゃん。直ぐに使えるように里芋を用意したからお講のお味噌汁に使って」と毎年我が家に持って来られていました。「まだ、小さく掘るのにはもったいない」と言うと「お寺用におじいさんに里芋を多く植えて貰ってるから。今の時期のお芋は美味しい」と毎年、願い寺への信仰心で作っておられました。
今年の私の里芋作りは初めて美味しいのが取れ、イカと里芋を煮て近所の信仰心の強い方に持って行きました。「清ちゃん。昔の亡きおじいさんの話を喜ばれ、清ちゃんに持って行っていた里芋の話も覚えてる。大昔の話やな。」そうです三十年近い前の話ですが、そんな思いで皆はお寺の当番をしていたのです。今は、信仰心が篤い方も世間の情報が入らず何にも知らない状態になっています。お寺にお参りに行かないのではなく行けなくなっている高齢者の生活の変化を支えるのはどうすれば良いのか。若い世代の人から、うっとしがられてもおしゃべりに行くのが良いのか里芋煮を手に悩みました。
posted by kiyoko at 22:34|
日記
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